《お風呂場から始まった哲学》

クレイパックの待ち時間、シャンプーやボディソープ、洗顔料、クレンジングなどの製品表記を見る。“肌と同じ弱酸性”。そういえば、私って、肌が本当に弱酸性かどうか知らないよなあ。学校でも習わないし。でもそれを知っている人が世の中にどのくらいいるのだろうか。つまり、「よかった、この商品は肌と同じで弱酸性なんだ」と納得して購入する人。

そして調べる。健康な人の肌というのはいわゆる弱酸性なのだそうだ。その肌を同じ弱酸性のもので洗えば、健康な肌の状態のまま、汚れを落とすことができるということらしい。しかしこれもインターネットの情報なので、究極を言えば何が本当かわからない。

では、どうすればいい?とじっくり考えて、身近な存在を思い出す。お医者さん!彼らなら知っているのだろう。でも、とまた繰り返される。メビウスの輪のように。そのお医者さんが本当のことを言っているって、一体どうしたらわかるんだろう。


《お風呂場から始まった哲学その②》

“洗練されたバラの香り”。

バラの香りというのは洗練された香りなのだろうか。まず、“洗練されたバラ”なのか、“洗練された香り”なのかがわからない。後者だとして、洗練された香りと言うのは一体何なんだ。

そして調べてみる。“洗練”とは、趣味や人柄をあかぬけのした優雅・高尚なものにすること、という意味を持つそうだ。なるほど、優雅、高尚。バラと少し近づいてきた気がする。しかし、私はなんとなくそう思っても、もちろんそう思わない、というひともいるはずである。この謳い文句はかなり主観的なものだと言える。

だから、例えばそのパッケージに、製作者なり、広告ガールなりの写真や名前が載っていて、“この泡はとても洗練された香りだと思います”と書いてあるのならば、納得がしやすい気がする。が、言葉としては“洗練されたバラの香り”という響きは私は結構好き。でも意味は不明。

さらに、《透明感のあるホワイトフローラル》。これはかなり混乱する。

透明なのにホワイト。ホワイトなのに見えない透明という形容詞で表現している。そもそも香りは見えないものなので、透明感のある、という表現はなんとなくわかる。しかしホワイトフローラルか…。ホワイトフローラルの香りというのがまず想像できないし、だからこそ、購入して嗅ぐことができても、正解がわからないから、これがホワイトフローラルの香りなのだな、と消費者は納得するしかない。逃げ場がない。色と香りに追いつめられている感じがする。